2011年09月26日

【足立社長列伝】 第3回 株式会社横引シャッター 市川文胤社長 <前編>

足立社長列伝.JPG
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▼ この社長にしてこの社屋あり

足立区綾瀬駅と北綾瀬駅のほぼ真ん中、
国道314号線沿いに建つブラック×イエローの大胆コンビカラーの建物。
それが横引シャッターの本社である。

シャッターには「我々の会社をプロジェクトXに出る会社にするぞ!!」
というメッセージがデカデカと書かれており、
前を通る度に「これぞ足立区だな」と1人納得していたのは私だけではないはず。

そして社屋には横引シャッターの表記以外にも
「(株)中央シャッター」「(株)サンオウ」など複数の社名が並び
一見すると何を本業としているのか把握できない。

「本社が黒いのは黒字になるように。
 窓が黄色いのは、いつも開いている窓から幸運が入ってくるようにです」。


そう語るのは横引シャッターの市川文胤(いちかわふみたね)社長。
なかなかに深い個性を持つ社長とお見受けした。

存在感ある会社外観
こちらが横引シャッターの本社。
かなりインパクトのある外観なので、ある意味国道314号線のランドマークとしても機能している。


社内に飾られたスクリュー
入り口にはなぜか巨大な金ぴかに磨かれた、真鍮製の本物のスクリューが展示されている。
社員に尋ねたら「我々にもよくわからかないものが普通に置いてあるんですよね……」という正直な解答が。
社長の説明によれば、黒字会社を運航していくためのスクリューだそうだ。
市川社長のセンスは我々一般人にはうかがい知れない。


船の舵
こちらには船の舵がかけられている。黒字会社を舵取りしていくためとのこと。
市川社長は海がお好きなのだろうか。



市川社長が事業を興したのは41年前。

シャッターの修理を手がける中央シャッターを設立して、
大手の三和シャッター、文化シャッター、東洋シャッターなどの企業から仕事を請け負っていた。

「うちがやってる横に開閉するシャッターというのは、大手も昔製造してたんですよ。
 でも不具合が多くて某企業の社長さんが
『もう横に引くシャッターなんて作るな。こんなに具合の悪いシャッターを作っていたら、
 企業イメージまで悪くなってしまう』と言って発売停止にしちゃった」。


そこで市川社長はシャッターの修理を続けるかたわら、
従来の横に引くシャッターの問題点を改善するため日々研究を重ねる。

「故障の原因は通常の上下に引くシャッターの部品を流用して作ってるからなんです。
 レールが下車だからそこにゴミやボールペンが落ちただけでもシャッターが引っかかる。
 だから、下車じゃなくて上車にすればいいと私は考えましてね。
 そこから生まれたのが上吊り式の横引シャッターなんです」。


修理業務で蓄積したノウハウから独自の横引シャッターを開発。
修理業と並行してそちらの開発にも力を入れて、
その後株式会社横引シャッターを設立して30年近くになる。

横引シャッター市川社長
髭を蓄え作務衣姿で登場した市川社長。まさに“昭和の男”の風格が漂う。
奥に見えるのは緑化事業を手がける株式会社サンオウ・設計の村上憲一氏。



▼ 時代を先取りしたオールフリーの精神

「以前“横引シャッター”という名称を商標登録してあったんだけど、
 そうしたらメーカーさん9社が集まってうちに来て
 『“横引きシャッター”はこれから一般名称になるでしょうから、
 みんながその名前を使えるようにしてくれませんか』と頼みに来まして。
 ああ、それはいいことだなと。うちが解放してみんなが使えるようになった方がいい。
 もちろん権利主張もしませんし、お金だってもらってませんよ(笑)」。


今でこそクリエイティブコモンズをはじめ権利の解放は一般的に見られるものの、
独占、囲い込みのビジネスが常識だった時代においては太っ腹かつ大胆な決定だったに違いない。

順調な滑り出しかのように見える横引シャッターだが、開業当初は鳴かず飛ばず。
「社長さんの名前が横引さんですか?と言われたり(笑)」なんてエピソードも。

同社では開業以来一貫して年末12月30日の餅つき大会を続けている。
5俵(300キロ)の餅米を紅白に分けた2つの臼で全社員一丸となってついている。
一時は社員への給料の遅滞が発生するなどの経営危機にも見舞われたが、
反対する社員もいた中で一度も中止することなくこのイベントは現在まで継続している。

「こんな餅つきを40年以上続けてやっている会社は我社だけだと日本一を自負しています。
 日本全国のシャッターメーカーの中で1件くらい、
 暮れの30日まで全社員が揃ってお客様からのシャッター故障の緊急電話を受けられ、
 すぐに修理に飛んでいけるように待機している会社があってもいいじゃないかと。
 この餅つき大会は我社の社会的使命であると考えてますからね。
 継続は力なりで、今こうやって振り返るといろいろなことがありました」。


地元とともに成長してきた会社なので、地元に密着した側面もある。

「近所の子どもたちが来たらポップコーンやたこ焼きなんか食べてもらってます。
 地元の子供たちに良い想い出になってくれたら嬉しいですね。
 また近年は、ホームレスの方がたくさん来たことがあったんですけど、
 このときとばっかりにお土産いっぱい持ってっちゃうの(笑)」


と、しっかりオチも付け加えてくれた。


▼ 日本一高いシャッターと日本一安いシャッターを創る会社

「うちはカタログの表紙に
“日本一高いシャッターとまた、日本一安いシャッターを創っている会社なのです。”
 と書いてるけど、こんなこと堂々と書く会社ってないんだよね。

 大事なのは何が高くて何が安いのかということ。
 また、製品は最大10年保証とも書いてある。
 会社設立から40年以上経ったからこれを20年保証にしようかと思ってるの。
 うちのシャッターが故障したら無料で部品部材は供給します。
 将来会社が60年経ったら30年保証にしようとも思ってる。

 モノはいつか必ず壊れるわけでしょ。
 だからメーカーの責任は20年でも30年でも保証の出来る製品を創るということ。
 それは結果として安い買い物になるよね。

 直すのは人間がやることだから、10年後も20年後も人件費と消費税については実費。
 部品は修理できるものは無料、使用できなくなったものは部品交換を無料でします。
 そんなメーカーないからね。

 そういったことを堂々と言って、
 プロジェクトXに出られる日本一の会社になろうと進んでいます」。


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横引シャッター本社のすぐそばにある綾瀬工場。
「我々の会社をプロジェクトXに出る会社にするぞ!!」のメッセージがいたる所に。


「手動式の上下シャッターの平均寿命はだいたい7、8年〜10年くらい。
 もちろん丁寧に扱えばもっと使えますよ。
 サビたり音がうるさくなったり、10年くらい経つとバネが伸びて重くなる。

 だから、サビなくて静かで20年使っても故障しないシャッターを作ればいい。
 九州でも北海道でもお客さんのシャッターが壊れたらすぐに現地に飛んで応急処置して、
 後はパーツを送る。

 せっかく交通網が発達して便利になったのに、今までと同じ1年保証なんてのはおかしい。
 我々が開発したシャッターなんだから企業責任を持って対応する。
 『保証は1年です』なんって言ってるのは20世紀の商売」。


あの決してスマートとは言えない横引シャッターの社屋とは裏腹に、
市川社長の言葉からは21世紀の企業としてのあるべき姿が明確に見えてくる。

ちなみにカタログにある“日本一高いシャッター”の例としては、
某ビールメーカー用に製造したS字のように開閉できる(水平垂直に稼働する)
高さ5メートルのシャッターがある。

「これは他のメーカーが創れないということでうちに話が来ました」。

設計から製造、設置までワンストップで提供できる、
日本中探してもどこもない製品を創る会社が横引シャッター。

「福島原発にもうちのシャッターが二百数十基設置されていたんです」

という話からも製品の信頼性を感じとれる。
そんな日本一が足立区から発信されているのだと思うと、ワクワクしてくるのは筆者だけだろうか。
   
   
後編予告:シャッターに始まり、緑化事業、農家経営、新漢字の発明まで。市川社長のあふれるアイデア!
   
   
   
松山 貴之 [PROFILE]
   
   
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posted by ジャンク派 at 11:34 | Comment(4) | 【足立社長列伝】
この記事へのコメント
 
先日、テレビ東京の『モヤモヤさまぁ〜ず2』にも、
横引シャッターの市川社長出られてましたね!

やはりとっても強烈なキャラクターですねー!
楽しい放送でした!
   
Posted by ジャンク派 at 2011年09月26日 12:00
おお、もやさまオンエアされてたんですね。
社長の「そまぁ〜ず!」聞きたかったです。
Posted by マツヤマ at 2011年09月26日 13:57
>マツヤマさん

ハハハ…(笑)
社長、「そまぁ〜ず」とはひどいですよねー!(笑)

しかし、ユニークなキャラクターと発想力!
その存在は貴重ですね!
   
Posted by ジャンク派 at 2011年09月26日 21:01
33年と6カ月ぶりにご挨拶いたします。
市川文胤社長、お元気でいらっしゃいますか。
1980年の夏、コピーの営業でおじゃまいたしました、矢草山 幸造(やくさやま こうぞう)
と申します。現在は、郷里熊本で、社会保険労務士を営んでおります。
「お、元気がいいな!」
と、お名刺を頂戴いたしました上に、いろいろなお話をお聴かせくださいましたね。特に、
『商売(あきない)は欲益(えき)を求めて商売ならず 人喜んでこそ商売なり』
の社訓は強烈な印象でした。
その後、小生は福岡に転勤いたしましたが、よく1981年には、
社規T(中央の使命と意義)を送ってくださいました。
お名刺と社規Tは、小生の宝物です。その両方を手元に、今 このコメントを書いております。
小生は、おもち が ことのほか好きでございます。おもちつき も 少しはやれます。
12月30日には全社員さんが おもちつき を されているとのこと!
うらやましい限りです。
昭和の男の風格の今の市川社長のお写真、お懐かしいです。
小生の記憶の中には若々しい市川社長がいらっしゃいます。
ご自愛ください。                         敬 具

                      熊本市南区川尻3−9−1   矢草山 幸造
Posted by 矢草山 幸造 (やくさやま こうぞう) at 2014年04月08日 21:55
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