2012年01月16日

【足立社長列伝】 第10回 株式会社ユニーク 畝邦弘会長 <後編>

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▼ ロバートさんと二人三脚で進める英会話教室

「この近くにいるNY出身のロバートさんと、
 英語をいかに皆さんに教えようかいろいろ思案してるんだけど。
 今度、舎人(とねり)で英語を教えることになって、
 教えるにもどうやって教えるのがいいのか。
 日本では小学校5年生から英語が必修だけど、それを幼稚園から教えるとかね。
 今から2人で探っていきたいなと話してるんです。
 まだ、ここ2ヶ月くらい前にあったばかりだから」。

ヤスリ事業に止まらない新規ビジネスの立ち上げにどこまでも積極的な畝会長である。
事務所に掲げられた看板を見ると「困ったことを解決して喜ばれる会社」というキャッチが記されていた。

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気軽なご相談待っています。


「なんせ私も年だから、あれもこれもやっても中途半端になってしまうんだよね(笑)。
 こうやっていろいろ新しいビジネスを考えてるけど、その9割が失敗だよ」。


▼ 借金返済のため3年間働き続けた日々

ここで、畝会長の若かりし頃の経歴を振り返ってみたい。
畝会長は以前、雑誌「東京グラフィティ」の「おじいちゃんの一代記」というコーナーで
紹介されたこともあるので、その記事を元に過酷な体験談を紹介する。

畝会長の両親は大正8年に広島でヤスリ製造業を創業。
畝会長は裕福な幼少期を過ごすが、小一で原爆を体験している。
それから終戦後の食糧難の時代を経験するも、大学に進むため進学校に入学。
しかし、家業のヤスリ会社が倒産してしまう。
ある日、家に戻るとタンスに「差し押さえ」の赤紙が貼られていたという。
というわけで大学進学をあきらめて借金返済のため
家庭教師やそろばん塾の講師などをして、3年間朝から晩まで働き詰めの日々を過ごす。

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こちらが掲載された東京グラフィティのページ。
1ヶ所思いっきり誤植があって、50歳とするべきところが80歳と記されてしまっている。


その後、借金を返済して近畿大学の1期生として入学。
卒業後には香港やマレーシアのユースホステルをまわり、見聞を広めた。
現在でもピースボートに乗船する畝会長の原点はここにあるのだろう。

一般企業では定年を迎える年になっても、囲碁を通じた国際交流、
核兵器廃絶のための「原爆の会」での活動、介護や遺産相続などの勉強会など、
なお精力的に活動し続けている。

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囲碁による台湾との文化交流の記念写真。


▼ 溢れ出る新アイデアと経営哲学

そして、ここで畝会長の口からまたも現在取組中の新規ビジネスの話が飛び出した。

「自閉症とダウン症のためのケア施設を4月頃に竹の塚に作る予定なんだ。
 そこで7人の面倒を見るの。障がいを抱えた人たちに、どう有意義に生きていただくか。

 それと同時に私は老人ホーム的なものをやっていきたいと考えてる。
 今の老人がなぜお金を使わないのか。それは、将来に不安を感じているから。
 みんな少しくらいのお金は持ってるけど、それが使えないのはなにかあると大変だから。
 1人で孤独死の心配もあるけど息子に面倒を見てらうのも難しい。
 そうなるとやっぱり自分のことは自分でやらなくてはと思ってしまう。
 だからそこを補助してくれる制度があれば安心して老後を過ごせる。

 群馬の高崎には「新生の園」という施設があって、
 そこは500人くらいの入居者に対して介護する人は300人くらいいるの。
 森みたいなところにあってね。
 あそこを見れば、日本の介護がわかると言われるくらいの有名どころ。
 老人ホームと名付けたのもはそこだと言うくらいの老舗。
 私もヤスリを売る必要はあるけど、今はヤスリだけをやっていてはしょうがないからね」。

なにをやるにも少数精鋭を貫く畝会長。
自社には必要最低限の機能を残し、必要に応じて外部のパートナーと連携することで事業を進めていく。

日本の経済成長が約束されていた時代は、誰もがその大きいレールに乗ることができた。
しかし、国内の経済成長が終わった現在では誰もが乗れるレールはすでに無い。

だから、個々が自分だけのレールを作り出す(=リスクを取る)必要がある。
今はすでに「リスクを取ろうとせず動かないこと」こそが最大のリスクになっている時代である。
戦後から激動の時代をくぐり抜けてきた畝会長は、経営者として時代感覚を実に的確に捉えている。

「自分がすべてやってたら、これだけあちこちできないし。
 たくさんの人の力を借りてやっているわけですよ。

 大手みたいに体力がないとすべて自前でまかなうことはできない。
 私は常々1%を集めて100%にしよう≠ニいう考え方を持っている。
 1ずつ積み重ねて100に近づいていこうと。
 でも、口で言ってもそう簡単ではないよ。気のあった者同士でやる以外無いからね」。

筆者は足立区出身であるが、周囲の人間を見ると
足立区の学校を出て、足立区で就職して、足立区で結婚して、
足立区に住み続けるタイプが非常に多いことに気づく。

「郷土愛」などという言葉とはまた違った、
人生すべてを地元で過ごす地元主義化とでも言えばいいのか。

筆者の周囲の人間だけを見れば基本的に
「足立区ですべてそろうから動く必要がない」といった考えの層が多い印象を受ける。
しかし、畝会長のまわりはどうやら違うらしい。

「まあ、私も自分が多少は変わってると思うけど。
 社名にユニークって付けるくらいだから変人が好きなの(笑)。
 アイデアがどんどん出ちゃって困るんだよ。

 足立区は新しいことをやる仲間を探すには垣根が低いと思うね。
 物好きが多いのか知らないけど。

 ものごとを進めるには人数が多くなりすぎると難しい。
 ハッキリ言って5人くらいでいいな。
 3人〜5人くらいのがまとまりがいい。

 今でも定期的に集まって太陽光なら太陽光のことばっかり勉強して、
 自然エネルギーで何ができるのかを考えてる」。

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愛車をバックに、夕日を浴びた畝会長の雄姿。


▼ 作詞作曲家・畝邦弘

「若い人も大変だと思う。年金が無くなって、雇用をどう守っていくか。
 幸福論になると幸福≠フ定義がその時代で変わってくる。
 経済的に繁栄しているとか、いつでも好きなものが食べられるとか、家族が一致団結しているとか。

 ブータンも幸せの国と言われているけど、あそことヨーロッパの人の考える幸せは尺度が違う。
 ドイツに行ったことがあるけど、ドイツ人は質素だな。
 朝から食べるものが少ないし、ドイツ人は質実剛健だなと。

 日本は食べる物も着る物も充分にあって、何がほしいのかなと。
 金があれば一番手っ取り早くなんでも買えるから希望する人が多いでしょうけど。
 それ以外になにがあるか、満足度をなにに求めるか。
 毎日精一杯働くことが満足なのか、腹一杯食べることが満足なのか」。

時代によって各国によって異なる幸せの定義。それを追求する畝会長の人生哲学。

「地球はひとつになると思う。私が作った歌があってね。聴いてほしいんだ」。
それでは、畝会長のオンステージ!


喜びの種をまく YouTube動画

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驚くなかれ、これすべてが畝会長の自作曲。お問い合わせは株式会社ユニーク(03-5839-3558)まで。

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心の中のフロントグラスは月日でくもるぞ!

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人は苦と戦って大成する。楽に安んじて失敗例が多い。


株式会社ユニーク
東京都足立区西伊興4-2-18
03-5839-3558
     
      
    
松山 貴之 [PROFILE]
   
   
   
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posted by ジャンク派 at 21:43 | Comment(0) | 【足立社長列伝】
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